東京高等裁判所 平成8年(行ケ)107号 判決 1998年4月14日
東京都千代田区大手町2丁目2番1号
原告
日本曹達株式会社
同代表者代表取締役
下村達
右訴訟代理人弁理士
廣田雅紀
同
東海裕作
東京都千代田区霞が関3丁目4番3号
被告
特許庁長官 荒井寿光
同指定代理人
浅見節子
同
吉見京子
同
後藤千恵子
同
小池隆
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
「特許庁が平成7年審判第1859号事件について平成8年2月16日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決
2 被告
主文と同旨の判決
第2 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和59年7月10日、名称を「スケール防止剤およびスケール防止方法」(後に「スケール防止方法」と補正)とする発明(以下「本願発明」という。)について特許出願(昭和59年特許願第142791号)をしたところ、平成3年9月13日出願公告(平成3年特許出願公告第60359号)されたが、特許異議の申立てがあり、平成7年1月10日拒絶査定を受けたので、同年2月6日審判を請求し、平成7年審判第1859号事件として審理された結果、平成8年2月16日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年5月20日原告に送達された。
2 本願発明の要旨
スルファミン酸またはキレート剤の少なくとも一種10~90重量%、パラジクロルベンゼン90~10重量%を含有し、塩素を遊離する薬剤を含有しない成形体を、男子用小便器排水管トラップ部の目皿部又は目皿部の周辺部に設置することを特徴とするスケール防止方法。
3 審決の理由の要点
(1) 本願発明の要旨は前項記載のとおりである。
(2) これに対して、本出願前に頒布された刊行物である英国特許第897733号明細書(1962年5月30日発行。以下「引用例」という。)には、その特許請求の範囲に、p-ジクロロベンゼン又はナフタレンを結合剤とし、塩素放出剤と、固体の水溶性の酸又は固体の水溶性の酸反応性物質と、有機界面活性剤とを含有するブロック状の消毒及び消臭組成物の発明(以下「引用発明」という。)が記載され、その1頁右欄62~70行には、引用発明において、適当な固体の酸として、くえん酸、酒石酸及びスルファミン酸が包含され、この後者の酸が好ましいこと、その理由として、スルファミン酸が通常のスケール(英文では「encrustation」)の形成を防ぎ、そして実際、古いスケールを徐々に除去するという二重の効果を有することが記載されている。なお、例えば研究社「新英和大辞典」(1960年)に、「encrustation」は「incrustation」と同義であり、「incrustation」の訳として、「湯あか(scale)」と記載されているように、引用例記載の「encrustation」は、小便器において析出する固形物を意味するものであり、本願発明でいうスケール(尿石)と同一のものを意味するものであることは明らかである。
そして、引用例の1頁左欄8~11行には、引用発明は、改良された便所用ブロックを提供するものであること、同1頁左欄19~21行には、便所用ブロックは針金のクリップ又は他の適当な方法により便所の便器の中に吊るして使用されることが記載されている。
さらに、引用例の2頁左欄3~16行には、引用発明の実施例として、スルファミン酸200グラム、クロラミン50グラム、ラウリル酸硫酸ナトリウム20グラム、p-ジクロロベンゼン720グラム、芳香剤10グラムからなる組成物を成形した便所用ブロックが記載されている。
また、引用例の1頁左欄12~16行には、便所用ブロックは、通常、クロラミンT(ナトリウムp-トルエンスルホンクロラミド)又は他の塩素放出剤と共にもしくはなしに、p-ジクロロベンゼン又はナフタレンから造られることも記載されている。
(3) そこで、本願発明と引用発明とを対比すると、
イ.成形体については
(a) 本願発明の「成形体」は、引用発明の「ブロック状の組成物」に相当すること
(b) 本願発明の「パラジクロルベンゼン」と引用発明の「p-ジクロロベンゼン」とは同一の化合物であること
(c) 引用発明では、固体の水溶性酸としてスルファミン酸を使用していること
(d) 引用発明の実施例におけるスルファミン酸とp-ジクロロベンゼンの組成物に占める比率は20%、72%であり、本願発明のスルファミン酸10~90重量%、パラジクロルベンゼン90~10重量%という組成比範囲に含まれるものであること
(e) 引用発明は、その実施例では芳香剤を含んでいるが、本願発明に用いられる成形体も、消臭剤として香料を添加し得るものであること
ロ.成形体の使用方法については
(f) 引用発明は改良された便所用ブロックを提供するものであること
(g) この便所用ブロックは便器の中に吊るして使用されるものであること
を勘案すると、結局、本願発明と引用発明は、スルファミン酸とパラジクロルベンゼンを含有する成形体を便器に設置する点で一致するが、次の点で相違する。
<1> 本願発明が、成形体中に塩素を遊離する薬剤を含有していない点
<2> 本願発明が、成形体中に有機界面活性剤を有していない点
<3> 本願発明は、スケール防止のため成形体を男子用小便器排水管トラップ部の目皿部又は目皿部の周辺部に設置するのに対し、引用発明では、消毒又は消臭のため成形体を針金のクリップ又は他の適当な方法により便器の中に吊るしている点
(4) これらの相違点について検討する。
<1> 相違点<1>について
引用例には、従来技術として、p-ジクロロベンゼン又はナフタレンから便所用ブロックを製造するに際し、塩素放出剤を併用することとともに、塩素放出剤を併用しないことも、通常行われていたことが記載されており、さらにスルファミン酸が通常のスケールの形成を防ぎ、そして実際、古いスケールを徐々に除去するという二重の効果を有することも記載されているのであるから、スケール防止方法に用いる成形体の製造にあたり、塩素放出剤を添加しないことは当業者が容易に想到し得る事項である。
<2> 相違点<2>について
引用例に記載のとおり、スルファミン酸がスケール防止作用を有するのであるから、スケール防止に用いる成形体の製造にあたり、洗浄剤たる有機界面活性剤を添加するかしないかは当業者が適宜選択し得ることである。
<3> 相違点<3>について
引用発明では、便所用ブロックを便器の中に吊るして用いられているが、便器を清浄に保つことができるよう、必要な有効成分を含有する成形体を便器に設置する方法としては、尿、あるいは尿の洗浄水が成形体の有効成分と混合するような方法を適宜選択すればよく、また、具体的設置方法として、成形体を男子用小便器に投入し、小便器排水管トラップ部の目皿部又は目皿部の周辺部に設置することは通常行われていることであり、成形体を男子用小便器排水管トラップ部の目皿部又は目皿部の周辺部に設置することは当業者が容易に想到し得ることである。
そして、男子用小便器排水管トラップ部の目皿部又は目皿部の周辺部に設置した場合には、尿が洗浄水との接触に先立ち成形体と接触し、薬剤が尿と十分混合されること、水蒸気で溶解した成形体中の有効成分がトラップ中に滴下し、効率的にスケールの発生を防止できることは当業者にとって予測可能な事項である。
(5) 以上のとおりであるから、本願発明は、引用例に記載された事項に基づいて当業者が容易に発明することができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。
4 審決を取り消すべき事由
審決の理由の要点(1)は認める。同(2)は、「引用例記載の「encrustation」は、小便器において析出する固形物を意味するものであり、本願発明でいうスケール(尿石)と同一のものを意味するものであることは明らかである。」との部分を除いて認める。同(3)は認める(但し、相違点<1>と相違点<3>に分かち書きした点は争う。)。同(4)のうち、<2>は認め、その余は争う。同(5)は争う。
審決は、本願発明と引用発明との相違点認定の仕方を誤り、相違点<1>、<3>についての判断を誤り、かつ、本願発明の効果についての判断を誤ったものである。
(1) 相違点認定の仕方の誤り(取消事由1)
成形体の有効成分と成形体を便器に設置する方法とは密接かつ有機的な関係を有するから、審決が、相違点<1>と相違点<3>に分かち書きしたことは不適切であって、「本願発明が、塩素を遊離する薬剤を含有しないスケール防止のための成形体を男子用小便器排水管トラップ部の目皿部又は目皿部の周辺部に設置するのに対し、引用発明では、塩素を遊離する薬剤を必須成分とする消毒及び消臭のため成形体を針金のクリップ又は他の適当な方法により便器の中に吊るしている点」で相違すると認定し、この相違点について判断すべきであった。
しかるに審決は、上記のとおりの認定をしなかったものであって、その認定の仕方には誤りがあるというべきである。
(2) 相違点<1>の判断の誤り(取消事由2)
<1> 引用例(甲第6号証)には、従来技術として、p-ジクロロベンゼン又はナフタレンから便所用ブロックを製造するに際し、塩素放出剤を併用することとともに、塩素放出剤を併用しないことも、通常行われていた旨記載されているが、この記載は、単に引用発明が出願された1958年(昭和33年)、当時からみての従来技術であって、p-ジクロロベンゼン単独、ナフタレン単独、p-ジクロロベンゼンと塩素放出剤との併用及びナフタレンと塩素放出剤との併用の4種類の便所用ブロックが従来知られていたことを開示するだけである。
これに対し、引用発明における消毒脱臭組成物は、クロラミンT等の塩素放出剤を必須の成分とするものである。そして、引用例(甲第6号証)の「(2) 通常の給水では比較的pHが高く、塩素はその消毒性、脱臭性及び漂白性を最大限に発揮できず且つクロラミンTから徐々に放出されるに過ぎない。」(訳文2頁11行~13行)、「固体の水溶性酸の存在により塩素が水中に放出されたときに塩素の活性を更に向上させることが発見された。」(訳文2頁下から2行~末行)との記載からして、クエン酸、酒石酸、及びスルファミン酸等の固体の水溶性酸は塩素の活性を向上させるために添加されていることがわかる。
これらのことからすると、引用発明における消毒脱臭組成物は、塩素放出剤が必須の主たる成分であり、その塩素放出剤の効力を高めるために使用されるスルファミン酸等の固体の水溶性酸も必須の副成分というべきものであり、少なくとも両者は密接不可分の関係で使用されていることがわかる。
そうだとすると、引用例には、主たる成分である塩素放出剤を含まず、副成分とでもいうべきクエン酸、酒石酸、及びスルファミン酸等の固体の水溶性酸を有効成分とする消毒脱臭組成物は教示されていないと解するのが相当である。
したがって、引用例に、従来技術として、p-ジクロロベンゼンから便所用ブロックを製造するに際し、塩素放出剤を併用することとともに、塩素放出剤を併用しないことも、通常行われていた旨記載されていることをもって、塩素放出剤とスルファミン酸等の固体の水溶性酸との密接不可分の関係に何ら言及することなく、「スケール防止方法に用いる成形体の製造にあたり、塩素放出剤を添加しないことは当業者が容易に想到し得る事項である。」との結論を導く根拠とすることは失当である。
<2> 引用例には、スルファミン酸が通常のスケールの形成を防ぎ、そして実際、古いスケールを徐々に除去するという二重の効果を有する旨記載されているが、この記載は、塩素放出剤の活性化のために固体の水溶性酸を併用する場合は、その中でもスルファミン酸が有利であることを教示しているだけであって、上記記載をもって、塩素放出剤を含有せず、p-ジクロロベンゼンとスルファミン酸を含有する成形体が教示されているということはできない。
<3>上記のとおりであって、相違点<1>の判断は誤りである。
(3) 相違点<3>の判断の誤り(取消事由3)
便器には、大別しても、水洗式とそうでないもの、男子専用の小便器と男女兼用の便器等の種類があり、また、成形体の設置方法についても、本願発明におけるように男子用小便器排水管トラップ部の目皿部又は目皿部の周辺部に設置する方法、引用発明におけるように針金のクリップ又は他の適当な方法により便器の中に吊るす方法、水洗用貯水槽の中に沈めておく方法、汲み取り式の糞尿溜へ放り込む方法等種々の方法がある。
そして、便器清浄用の有効成分もその種類は多く、有効成分として、例えば本願発明や引用発明において用いられているp-ジクロロベンゼンを含有する場合は、p-ジクロロベンゼンは気体と接触し昇華してその効力を生じることから、水洗用貯水槽の中に沈めておく方法を選択することはできず、また、引用発明において用いられているクロラミンTのような塩素放出剤を有効成分として含有する場合は、塩素放出剤と尿が直接接触すると化学反応により刺激臭の強い気体(三塩化窒素)が発生することから、塩素放出剤を含む成形体の場合は、尿が直接かかる男子用小便器排水管トラップ部の目皿部又は目皿部の周辺部に設置する方法を選択することはできない。
このように、便器の種類や成形体の便器への設置方法も種々ある上に、成形体を便器に設置する方法は、その有効成分の種類によって異なるから、到底、「成形体を便器に設置する方法としては、尿、あるいは尿の洗浄水が成形体の有効成分と混合するような方法を適宜選択すればよく、」とはいえないのである。
成形体を男子用小便器に投入し、小便排水管トラップ部の目皿部又は目皿部の周辺部に設置することが、通常行われていることであることは認めるが、引用例に記載の「クロラミンTその他の塩素放出剤含む便所用ブロック」は、尿と直接接触すると、化学反応により刺激臭の強い気体(三塩化窒素)を発生させるものであるから、引用例は、「男子用小便器の排水管トラップ部の目皿部又は目皿部の周辺部に設置する」ことを必須の構成要件とする発明に対して、契機ないし起因(動機づけ)となることを妨げる事項を開示するものである。
したがって、相違点<3>の判断は誤りである。
(4) 効果についての判断の誤り(取消事由4)
有効成分として塩素放出剤を含み、男子用小便器排水管トラップ部の目皿部又は目皿部の周辺部に設置することが望ましくない引用発明から、「男子用小便器排水管トラップ部の目皿部又は目皿部の周辺部に設置した場合には、尿が洗浄水との接触に先立ち成形体と接触し、薬剤が尿と十分混合されること」に基づく尿石や悪臭の発生防止という本願発明の効果が、当業者にとって予測可能な事項であるとは到底いえるものでないことは明らかである。また、どのような理由で引用例の記載から「水蒸気で溶融した成形体中の有効成分がトラップ部に滴下し、効率的にスケールの発生を防止できることは当業者にとって予測可能な事項である。」といえるのか不可解である。
したがって、本願発明の効果についての判断は誤りである。
第3 請求の原因に対する認否及び反論
1 請求の原因1ないし3は認める。同4は争う。審決の認定、判断は正当であって、原告主張の誤りはない。
2 反論
(1) 取消事由1について
引用例において、便所用ブロックを吊り下げて用いているのは、従来、塩素放出剤を含むもの、あるいは含まないものも含めて便所用ブロックの設置方法の一つとして吊り下げて用いる方法が知られており、単にこの方法をそのまま適用したにすぎないとするのが、引用例の記載からみて自然である。
したがって、審決が、相違点<1>として成形体中の塩素放出出剤の有無を挙げ、相違点<3>として成形体の設置場所の違いを挙げ、両者を分かち書きした点に誤りはない。
(2) 取消事由2について
引用例(甲第6号証)には、「スルファミン酸は、そのカルシウム塩、マグネシウム塩、鉄塩が可溶性であるので、スルファミン酸のブロックへの添加は、普通のエンクラステイションの生成を妨げ、また事実古いエンクラステイションを徐々に除去するであろうという二重の効果が発見されたからである。」(訳文3頁9行~14行)と記載されており、この記載からみれば、スルファミン酸は尿中のカルシウムイオン由来の尿石の生成防止及び析出した尿石の除去に有用な効果を有し、また、該効果はクロラミンTとは無関係に奏されるものであるから、クロラミンTを用いずスルファミン酸のみ用いた場合でも便所用ブロックとして有用であることは当業者において明らかである。
しかも、引用例(甲第6号証)には、「便所用ブロックは通常、クロラミンT(p-トルエンスルホンクロルアミドナトリウム)又はその他の塩素放出剤を添加した又は添加しないp-ジクロロベンゼン又はナフタレンからつくられる。これらの製品は適当な香料を約1%含有するのが普通である。種々の物質が良く混合され、圧力によりブロックに成型される。」(訳文1頁17行~2頁1行)と記載されており、この記載からみれば、引用例は、p-ジクロロベンゼン又はナフタレンを使用する便所用ブロックにおいては、必ずしもクロラミンTその他の塩素放出剤を用いずに他の配合剤が添加される場合があることを示すものである。
これに加えて、本願出願前において、便器内に生成する汚れを除去するため、あるいはその析出を防止するための固形清浄剤として、パラジクロルベンゼン等の昇華物質に、クロラミンTその他の塩素放出剤を配合せずに、種々の洗浄剤を配合したものは、当業者において広く知られていたものであり(乙第1号証ないし第4号証)、上記技術水準を考慮して引用例の記載をみれば、尿石の生成防止及び除去に有用な効果を有し、便器の清浄剤として使用できることが明らかなスルファミン酸を、クロラミンTその他の塩素放出剤を用いずに、パラジクロルベンゼンに配合することは当業者が容易に想到し得ることである。
したがって、相違点<1>の判断に誤りはない。
(3) 取消事由3について
成形体の有効成分が、スルファミン酸等の尿中のカルシウムイオン由来の尿石の生成防止及び析出した尿石の除去の作用を有し、便器の清浄剤として使用するものであれば、該成形体の設置方法は、尿あるいは尿の洗浄水が該成形体中の有効成分と混合するような方法を採用することは当然のことである。
しかも、便所用成形体の具体的な設置方法として、男子用小便器排水管トラップ部の目皿部又は目皿部の周辺部に置くことは通常行われていることである(乙第1号証ないし第3号証)。
したがって、便所用成形体の有効成分が、スルファミン酸等の尿石の生成防止及び析出した尿石の除去の作用を有し、便器の清浄剤として使用するものであれば、該成形体を男子用小便器排水管トラップ部の目皿部又は目皿部の周辺部に置くことは、当業者おいて普通に選択できたものであることは明らかである。
また、引用発明においては、便所用ブロックは便器に吊り下げて使用されるものであるが、このように設置するとブロックが尿と直接接触しないというのであればともかく、引用発明の設置方法であっても、尿と直接接触することも考えられるから、この点からみても、引用例記載の便所用ブロックを男子用小便器排水管トラップ部の目皿部又は目皿部の周辺部に設置することは、当業者が容易に想到し得ることである。
したがって、相違点<3>の判断に誤りはない。
(4) 取消事由4について
引用例(甲第6号証)には、スルファミン酸について、「スルファミン酸は、そのカルシウム塩、マグネシウム塩、鉄塩が可溶性であるので、スルファミン酸のブロックへの添加は、普通のエンクラステイション(encrustation)の生成を妨げ、また事実古いエンクラステイション(encrustation)を徐々に除去するであろうという二重の効果が発見されたからである。」(訳文3頁9行~14行)と記載されている。この記載は、従来のスルファミン酸を含有しない便所用ブロックについての「(1)便器中に生成する石灰及び鉄塩の通常のエンクラステイション(encrustation)を除去できず変色を生ぜしめる。」(訳文2頁9行~11行)なる記載を受けてスルファミン酸の作用効果について述べたものであるから、上記スルファミン酸の効果は、便器中に生成されるカルシウム塩等由来のエンクラステイションに対し奏されるものである。一方、尿石は、尿中のカルシウムイオンが難溶性カルシウム塩となって便器に析出付着したものであるから、上記スルファミン酸が、カルシウム塩を可溶化してエンクラステイションの生成を妨げあるいは除去する旨の記載は、少なくとも、スルファミン酸が難溶性カルシウム塩からなる尿石の生成防止及び除去効果を有することを示すものであり、本願発明にいうスケールの防止作用を有するものであることは明らかである。
したがって、本願発明の効果についての審決の判断に誤りはない。
第4 証拠
本件記録中の書証目録記載のとおりであって、書証の成立はいずれも当事者間に争いがない。
理由
1 請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の要旨)、3(審決の理由の要点)は、当事者間に争いがない。
そして、審決の理由の要点(2)(引用例の記載)は、「引用例記載の「encrustation」は、小便器において析出する固形物を意味するものであり、本願発明でいうスケール(尿石)と同一のものを意味するものであることは明らかである。」との部分を除くその余の部分、同(3)(本願発明と引用発明との一致点及び相違点の認定。但し、相違点<1>と相違点<3>に分かち書きした点は除く。)同(4)<2>(相違点<2>の判断)についても、当事者間に争いがない。
2 取消事由1について
原告は、成形体の有効成分と成形体を便器に設置する方法とは密接かつ有機的な関係を有するから、審決が、相違点<1>と相違点<3>に分かち書きしたことは不適切であって、相違点の認定の仕方に誤りがある旨主張する。
引用例(甲第6号証)には、(a)「出来上がったブロックはワイアクリップ又はその他の適当な方法で便器に吊り下げられる。」(訳文2頁1行ないし3行)、(b)「使用中にp-ジクロロベンゼンは室温で徐々に蒸発しクロラミンTが露出される。便所が水でフラッシュされると、水溶性であるクロラミンTは便器中に入り、そこで溶液中に塩素が放出され、消毒、漂白及び、脱臭作用をする。」(2頁3行ないし7行)と記載されていることが認められる。
上記(b)の記載によれば、引用例に記載のp-ジクロロベンゼンと塩素放出剤であるクロラミンTとを併用する便所用ブロックの消毒、漂白及び、脱臭作用は、p-ジクロロベンゼンの昇華によるクロラミンTの露出と、クロラミンTの水中への溶出が交互に行われることにより生ずるものであって、この点を満たす限りにおいて、ブロックの使用態様は各種採用され得るものと認められ、有効成分(塩素放出剤)との関係で、一義的にブロックの吊り下げ設置に限定されるものではなく、ブロックの吊り下げ設置を有効成分(塩素放出剤)と密接不可分のものとして一体に把握すべき理由はないものと解するのが相当である。
他方、本願発明は、「成形体を、男子用小便器排水管トラップ部の目皿部又は目皿部の周辺部に設置すること」を要旨とするものであるが、本願明細書には、「本発明において使用されるスケール防止剤は、それぞれ給排水系の流水中たとえば貯水槽中に投入する方法、もしくは、該系内に合流する水と大気とが交互に接触する場所たとえば男子用トイレの便器、空調用冷水塔の水受皿等に設置して使用することもできる。」(甲第2号証11頁15行ないし19行、甲第4号証の「7.補正の内容(3)<10>、<11>」)、「男子用トイレと同様に間けつ的に流水のある給排水系、および大気にも接触する流水のある給排水系に使用しても同様の効果を得ることができる。」(甲第2号証20頁7行ないし10行)と記載されていることが認められ、これらの記載によれば、本願発明における「男子用小便器排水管トラップ部の目皿部又は目皿部の周辺部」は、有効成分(スルファミン酸)との関係で一義的に限定されるものではなく、上記設置箇所を有効成分(スルファミン酸)と密接不可分のものとして一体に把握すべき理由はないものと解するのが相当である。
そうすると、審決が、塩素放出剤の有無を相違点<1>とし、使用態様(設置の態様・場所)を相違点<3>として分かち書きした認定の仕方に誤りはなく、取消事由1は理由がない。
3 取消事由2について
(1)<1> 当事者間に争いのない審決摘示の引用例の記載事項と甲第6号証によれば、引用例には、次の各記載があることが認められる。
イ.「消毒脱臭組成物に於いて、該組成物が塩素放出剤、固体の水溶性酸又は固体の水溶性酸反応物質、及び有機界面活性剤より成り、結合剤がp-ジクロロベンゼン又はナフタレンであるブロック状の組成物。」(特許請求の範囲第1項)
ロ.「本発明は、消毒脱臭組成物の改良に関するものであり、改良された便所用ブロックを提供することを一目的とする。」(甲第6号証訳文1頁下から8行ないし6行)
ハ.「便所用ブロックは通常、クロラミンT(p-トルエンスルホンクロルアミドナトリウム)又はその他の塩素放出剤を添加した又は添加しないp-ジクロロベンゼン又はナフタレンからつくられる。これらの製品は適当な香料を約1%含有するのが普通である。種々の物質が良く混合され、圧力によりブロックに成型される。出来上がったブロックはワイアクリップ又はその他の適当な方法で便器に吊り下げられる。使用中にp-ジクロロベンゼンは室温で徐々に蒸発しクロラミンTが露出される。便所が水でフラッシュされうと、水溶性であるクロラミンTは便器中に入り、そこで溶液中に塩素が放出され、消毒、漂白及び、脱臭作用をする。」(訳文1頁下から5行ないし2頁7行)
ニ.「このような便所用ブロックには次のような欠点がある。(1)便器中に生成する石灰及び鉄塩の通常のエンクラステイション(encrustation)を除去できず変色を生ぜしめる。(2)通常の給水では比較的pHが高く、塩素はその消毒性、脱臭性及び漂白性を最大限に発揮できず且つクロラミンTから徐々に放出されるに過ぎない。(3)ブロックの中で唯一の水溶性のものであるクロラミンTは洗剤としての価値は無く、したがって、ブロックが便器の有機物を洗浄する作用は完全に水に依存している。」(訳文2頁8行ないし17行)
ホ.「ブロックに少量の有機界面活性剤を添加することにより、得られる洗浄効果が改良され、且つ、溶液の表面張力が減少するために塩素の作用速度が改良されること、及び、固体の水溶性酸の存在により塩素が水中に放出されたときに塩素の活性を更に向上させることが発見された。」(訳文2頁18行ないし末行)
ヘ.「適当な固体酸としてはクエン酸、酒石酸、及びスルファミン酸が挙げられ、スルファミン酸が好ましい。それは、スルファミン酸は、そのカルシウム塩、マグネシウム塩、鉄塩が可溶性であるので、スルファミン酸のブロックへの添加は、普通のエンクラステイション(encrustation)の生成を妨げ、また事実古いエンクラステイション(encrustation)を徐々に除去するであろうという二重の効果が発見されたからである。」(訳文3頁7行ないし14行)
<2> 上記各記載によれば、引用発明(引用例の特許請求の範囲に記載の発明)は、p-ジクロロベンゼン又はナフタレンに塩素放出剤を添加した複数成分系の便所用ブロックを前提として、その改良に向けられた発明であって、塩素放出剤を必須の成分とするものであり、(a)有機界面活性剤を添加することにより、洗浄効果が改良され、かつ、塩素の作用速度が改良される、(b)固体の水溶性酸が、水中での塩素の活性を高める、(c)スルファミン酸の添加が、エンクラステイションの生成を妨げ、かつ、生成したエンクラステイションを除去する、という知見に基づいて、特許請求の範囲に記載の構成を採択したものであることが認められる。
そして、引用例には、従来技術として、p-ジクロロベンゼン又はナフタレンから便所用ブロックを製造するに際し、塩素放出剤を添加しないことも通常行われていたことが示されているが、塩素放出剤を添加しないことの技術的理由及び効果については開示されていない。
(2) ところで、本願明細書には、本願発明における成形体が「塩素を遊離する薬剤を含有しない」ことによる使用態様の可能性について、「本発明に使用されるスケール防止剤は、塩素を遊離する薬剤を含有しないため直接尿と接触可能である。」(甲第2号証13頁6行ないし10行、甲第4号証の「7.補正の内容(3)<14>(一部))と記載されているのみで、その効果については記載されていないが、塩素を遊離する薬剤を含有しないため、尿と直接接触しても、化学反応により刺激臭の強い気体(三塩化窒素)の発生を免れるという効果を奏するというのであれば、そのような効果は塩素放出剤を用いないことによって当然得られる事項にすぎない。本願明細書を精査しても、本願発明における成形体が「塩素を遊離する薬剤を含有しない」ことによって、他に格別の効果を奏する旨の記載を見出すことはできない。
そうすると、上記(1)<1>ハ.のとおり、引用例には、塩素放出剤を併用しないP-ジクロロベンゼン単独の便所用ブロックやナフタレン単独の便所用ブロックが従来から存在していたことが示されている以上、塩素放出剤を併用しないことの技術的理由及び効果が開示されていないからといって、スケール防止方法に用いる成形体の製造にあたり、塩素放出剤を添加しないようにすることを困難ならしめる事由があるとは認められない。
次に、引用発明において、固体の水溶性酸は水中での塩素の活性を高めるものであるが、上記(1)<1>ヘ.の記載は、それとは別に、すなわち、クロラミンT等の塩素放出剤の活性化とは無関係に、固体の水溶性酸のうちのスルファミン酸が、エンクラステイションの生成を妨げ、かつ、生成したエンクラステイションを除去するという効果を有することを教示しているものと認められる。そして、引用発明の組成物が便所用ブロックであることからすれば、上記エンクラステイション(encrustation)は「尿石」を含むものと解され、引用例は、スルファミン酸が尿石の生成防止及び析出した尿石の除去に有用な効果を有することを教示しているものと認められる。
しかして、上記認定、説示したところによれば、尿石の生成防止及び除去に有用な効果を有し、便器の清浄剤として使用できることが明らかなスルファミン酸を、クロラミンT等の塩素放出剤を用いずに、パラジクロロベンゼンに配合することは、当業者において容易に想到し得ることと認めるのが相当である。
(3) 原告は、引用発明における消毒脱臭組成物は塩素放出剤が必が須の主たる成分であり、その塩素放出剤の効力を高めるために使用されるスルファミン酸等の固体の水溶性酸も必須の副成分というべきもので、両者は密接不可分の関係で使用されており、引用例には、主たる成分である塩素放出剤を含まず、副成分というべきスルファミン酸等の固体の水溶性酸を有効成分とする消毒脱臭組成物は教示されていないとして、塩素放出剤とスルファミン酸等の固体の水溶性酸との密接不可分の関係に何ら言及することなく、引用例に、従来技術として、p-ジクロロベンゼンから便所用ブロックを製造するに際し、塩素放出剤を併用することとともに、塩素放出剤を併用しないことも、通常行われていた旨記載されていることをもって、「スケール防止方法に用いる成形体の製造にあたり、塩素放出剤を添加しないことは当業者が容易に想到し得る事項である。」との結論を導く根拠とすることは失当であること、上記(1)<1>ヘ.の記載は、塩素放出剤の活性化のために固体の水溶性酸を併用する場合は、その中でもスルファミン酸が有利であることを教示しているだけであって、上記記載をもって、塩素放出剤を含有せず、p-ジクロロベンゼンとスルファミン酸を含有する成形体が教示されているということはできないことを理由として、相違点<1>についての判断の誤りを主張する。
しかしながら、上記<2>に認定、説示のとおり、尿石の生成防止及び除去という点においては、スルファミン酸は塩素放出剤と密接不可分の関係にあるわけではなく、上記(1)<1>ヘ.の記載は、塩素放出剤の活性化のために固体の水溶性酸を併用する場合、その作用のためにはスルファミン酸が特に有利であることを教示しているのではなく、スルファミン酸は、塩素放出剤の活性化という作用とは別に、尿石の生成防止及び除去という点でも有用な効果を奏するものであることを教示しているものと認められるのであって、原告の上記主張は採用できない。
(4) 以上のとおりであって、相違点<1>についての審決の判断に誤りはなく、取消事由2は理由がない。
4 取消事由3について
(1) 本願明細書には、「スケール防止剤の設置場所を男子用小便器排水管トラップ部の目皿部またはその周辺部に設置する方法であるため、洗浄水との接触に先立ち、尿と接触することによって尿石の発生原因である尿と確実に混合される。さらにまた、夜間、休日等において便器が長時間使用されない場合のように、トラップ中の排水が濃縮され、かつ、その中に含まれる尿が完全分解し、尿石が極めて発生しやすい状態になる場合であっても、パラジクロルベンゼンの昇華により現れた有効成分が少量の付着水とトラップから上昇する水蒸気による潮解作用により溶解し、高濃度の薬液がトラップ中に滴下するため、効率的に尿石の発生を防止できるものである。」(甲第2号証13頁6行ないし10行、甲第4号証の「7.補正の内容(3)<14>(一部)と記載されていることが認められる。
ところで、尿石の生成防止及び除去に有効な成分であるスルファミン酸等を含有する便所用成形体を便器の清浄剤として使用する場合には、その成形体を便器に設置する方法として、尿あるいは尿の洗浄水が成形体中の有効成分と混合するようにすることは、当然考慮されるべきことである。
そして、便所用成形体を男子用小便器排水管トラップ部の目皿部又は目皿部の周辺部に設置することは通常行われていることである(この点は当事者間に争いがない。)。
そうすると、便所用成形体を男子用小便器排水管トラップ部の目皿部又は目皿部の周辺部に設置することは、当業者において容易に想到し得ることと認められる。
(2) 原告は、引用例に記載の「クロラミンTその他の塩素放出剤含む便所用ブロック」は、尿と直接接触すると、化学反応により刺激臭の強い気体(三塩化窒素)を発生させるものであるから、引用例は、「男子用小便器の排水管トラップ部の目皿部又は目皿部の周辺部に設置する」ことを必須の構成要件とする発明に対して、契機ないし起因(動機づけ)となることを妨げる事項を開示するものである旨主張する。
しかしながら、審決は、相違点<1>について、引用例には、従来技術として、p-ジクロロベンゼン又はナフタレンから便所用ブロックを製造するに際し、塩素放出剤を併用しないことも通常行われていたこと、スルファミン酸がスケールの形成防止及び除去という効果を有することが記載されていることから、スケール防止方法に用いる成形体の製造にあたり、塩素放出剤を添加しないことは当業者が容易に想到し得る事項である旨判断したことを踏まえて、相違点<3>についての判断を示したものであるところ、相違点<1>の判断に誤りのないことは上記3に説示のとおりである。原告の上記主張は、「クロラミンTその他の塩素放出剤を含む便所用ブロック」を前提とするものであって、その点においてすでに当を得ないものというべきである。
(3) 以上のとおりであって、相違点<3>についての審決の判断に誤りはなく、取消事由3は理由がない。
5 取消事由4について
(1) 本願明細書には、「スケール防止剤の設置場所を男子小便器排水管トラップ部の目皿部またはその周辺部に設置する方法であるため、洗浄水との接触に先立ち、尿と接触することによって尿石の発生原因である尿と確実に混合される。さらにまた、夜間、休日等において便器が長時間使用されない場合のように、トラップ中の排水が濃縮され、かつ、その中に含まれる尿が完全分解し、尿石が極めて発生しやすい状態になる場合であっても、パラジクロルベンゼンの昇華により現れた有効成分が少量の付着水とトラップから上昇する水蒸気による潮解作用により溶解し、高濃度の薬液がトラップ中に滴下するため、効率的に尿石の発生を防止できるものである。」(甲第2号証13頁6行ないし10行、甲第4号証「7.補正の内容(3)<14>」(一部))と記載されていることが認められる。
ところで、上記4に認定のとおり、便所用ブロックの成形体を「男子用小便器排水管トラップ部の目皿部又は目皿部の周辺部に設置する」ことは、当業者において容易に想到し得ることであり、これらの構成がもたらす上記記載の効果も当然予測し得る程度のことであって、格別のものとすることはできない。
(2) 原告は、有効成分として塩素放出剤を含み、男子用小便器排水管トラップ部の目皿部又は目皿部の周辺部に設置することが望ましくない引用発明から、「男子用小便器排水管トラップ部の目皿部又は目皿部の周辺部に設置した場合には、尿が洗浄水との接触に先立ち成形体と接触し、薬剤が尿と十分混合されること」に基づく尿石や悪臭の発生防止という本願発明の効果が、当業者にとって予測可能な事項であるとは到底いえるものでない旨主張するが、塩素放出剤を含むものを前提とするものである点で当を得ないものであることは、叙上認定、説示したところから明らかである。
また原告は、どのような理由で引用例の記載から「水蒸気で溶融した成形体中の有効成分がトラップ部に滴下し、効率的にスケールの発生を防止できることは当業者にとって予測可能な事項である。」といえるのか不可解である旨主張する。
水が貯留されている排水管トラップにおいて発生した水蒸気は、排水管を通って上昇し便器内に到達するが、成形体が排水管トラップ部の目皿部又はその周辺部に設置されている場合には、便器内の他の場所に置かれた場合よりも、水蒸気によってより多くの成形体中の有効成分が溶解されトラップ中に滴下すること、それによって効率的にスケールの発生を防止できることは、当業者において容易に予測し得ることというべきであって、原告の上記主張は失当である。
(3) 以上のとおりであって、審決が、「男子用小便器排水管トラップ部の目皿部又は目皿部の周辺部に設置した場合には、尿が洗浄水との接触に先立ち成形体と接触し、薬剤が尿と十分混合されること、水蒸気で溶解した成形体中の有効成分がトラップ中に滴下し、効率的にスケールの発生を防止できることは当業者にとって予測可能な事項である。」とした判断に誤りはなく、取消事由4は理由がない。
6 よって、原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 伊藤博 裁判官 濵崎浩一 裁判官 市川正巳)